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選手補強も一仕事です

ESSAになってから6年目、日暮里と東京が10年目、埼京が9年目、四谷はチーム結成以前のネット繋がりの期間が長いけどチームとしては8年目ぐらいか...
とにかくこれだけの期間、活動していれば人の出入りも頻繁である意味定期的に活動できている事の方が驚異なのかもしれないけど、それでも各チーム戦力補強というのは一仕事な訳です。

2003年だったかリーグ発足にあたり合同トライアウトを開催し、1日に5人ぐらいやって来て、シーズンインまでに7〜8人が各チームに入団したという年もありましたが、そういうのをどんどんやっていかないと行けないなあと痛感する日々です。

まあESSAは月1で活動しているので、活動日がイコールトライアウトかもしれません。
このページをご覧の方で「やってみようかな?」という方がおりましたら、まずはご連絡ください。
どのチームに入るか?というよりは、色々なチームを試せるチャンスです。こんな環境はなかなかないですよ。


お問い合せ先>VZQ11623@nifty.com

来季はぜひ単独チームで!

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残念ながら今季は連合チームでの出場となっている日暮里レッドキャップスと埼京スティーラーズだが、この2チームがESSAの運営では頑張っている。

殆どの選手関係者は知る事もないがESSAは特に代表や指揮者を置かずに完全合議制で6年間運営されている。
率直に言うとこれが良いのか悪いのか結論としては言い難いが、世の中の草野球リーグや草ソフトリーグを見ている限りリーグのホスト球団を決めてしまう形を取ると、そのホスト球団のモチベーション次第でレギュレーションが変わったり、あるいはホスト球団有利の運営もままにある。また自軍の運営がままならなくなるとそのまま放棄したりするケースも散見できる。
ただ完全合議制の場合、瞬時に物事を決める事において対応は遅くなる反面、発言力はあくまでも加盟チーム数を分母とするなら所詮1の力しか持てない。
合議制故に各チームともフェアな発言をする為に幹部のメーリングリストが用意され、緊急の場合を除いて原則メーリングリストでの発言のみが公論となる。
よって極秘裏な事もなく健全な形で運営が行われていると言えよう(一番理想的なのはムーンライトリーグの様にリーグでチ−ムを持っている様な形式が運営的にもブランディング的にも良いのだが...)

合議制とは言え「言い出しっぺ」は必要になる。私設リーグ時代のチーム運営経験者が多い東京ボルメッツが言い出しっぺ役となって来たのが過去5年間の動きだった。しかし今年に入ってからは日暮里レッドキャップスと埼京スティーラーズが随分と提案や発言で頑張っている。

さらに嬉しい事にこの2チームはしばらくの間グランドから遠のいていた人が今年に入ってから復帰したりしてるので、来季に向けて希望が持てそうだ。
この調子でチームも活性化して、来年は再び単独チームとしての試合をしてみたい。

ESSA夜明け前〜第一回〜

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ESSAが誕生したのが2003年、それまでの間も現在加盟の4チームは
常打ちで試合を行っていた(上の写真は当時の風景)

1999年に当時の青山レッドキャップス(現:日暮里レッドキャップス)と東京ボルメッツが初の試合を行い、翌年レッドキャップスから派生して埼京スティーラーズが生まれ、秋ぐらいからこの3チームによる巴戦が行われるようになった。
当初はグランドが取れたチームが他の2チームに「お手合わせ願い」をして試合を行っていたのだが、2001年ぐらいになると3チーム間で試合の日をあらかじめ決めておいて、インターネットのグランド抽選などを行う今の形態に近い形で試合は行われる様になる。
この2001年の後半ぐらいになると四谷Qチーマーがチームとしての体裁を整えて来て「常打ち仲間」に加わる。
つまり順位付けこそないものESSAの活動に近い事はすでに大分前から行われて来たことになるのだ。

この様に恒常的な活動をしつつもリーグ化という話は特になかったのだが(これはまたいずれお話する事に)、2002年頃から埼京スティーラーズのブリキン選手を中心に「4チームによるリーグ発足」の声が高まり、2002年夏の天城ドームでの集結戦の頃から来年2003年にリーグ化しようという話で各チームが同意し大筋が固まる。

良くESSA生みの親は誰なんだ?という質問が来るのだが、日暮里レッドキャップスえのきど氏でも、私設リーグの運営経験のある東京小松選手でもなく、実はブリキン選手なのである。
彼は家の事情があって開幕前に故郷の名古屋へ帰ってしまった為に、ESSAを生みつつも残念ながらESSAの試合を体験していない。
しかしブリキン選手が居なかったらESSAというリーグは存在していない。
彼の熱意に揺り動かされた各チームの代表のやる気がESSAという私設リーグの礎となったのであるが、この話は次回に。

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